2017/04/25
今年度の「かしまのざくざく」は縄文土器のうつりかわりについて鹿嶋の遺跡を中心に紹介します。
縄文土器の由来は、明治時代、アメリカ人のモース博士が日本で初めて東京都品川区大森貝塚を調査し、そこから出土した土器に命名したことからであります。モースは、縄目の土器をみて「cord marked pottery」と名付け、これを「縄文土器」として訳し、その後、一般的に使われるようになりました。
土器は可塑性を持つ粘土を材料として形をつくり、焼き上げた容器のことで、他の遺物と比べて形や文様がいろいろ変化し、出土する量も多いので、時代や地域による違いと変化を詳しくみることができます。
また、時代によって形や文様に変化が多いので、縄文土器を六つの時期に大きく区別し、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と呼んでいます。
最初の縄文土器である草創期の土器は、煮炊き用の土器で、平底と丸底の2タイプがあります。しかし、現在のところ鹿嶋では草創期の土器は見つかっていません。現在見つかっている鹿嶋で最も古い土器は早期の土器です。
早期の土器については次回をお楽しみに。
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