埋文ニュース

第31回 風土記の郷①-墨書土器「鹿嶋郷長」

2017/04/25

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第30回 古代の税金? ~神野向遺跡から見つかった炭化米~

2017/04/25
 ついこの間までお米で税金を納めていたことをみなさんはご存知ですか。
奈良・平安時代の郡の役所跡である神野向遺跡の大溝からたくさんの炭化材や炭化米が見つかっています。大溝は税として納められた米を入れておく倉庫域の周囲を取り囲むものでした。この大溝から炭化米が見つかったことにより、倉庫が火災を受けたことが想像されます。
645年「大化の改新」によって全ての土地と人民は戸籍の整備等により国家管理体制となり、646年「班田収授法」により人々に「口分田」(くぶんでん)と呼ばれる農地を与える代わりに、収穫した稲の約3%を「租」として国家に納めることとしました。つまり、律令国家の財源は人々を戸籍に登録し、税を負担させることによって成り立っていました。
「班田収授法」に始まった米を税として納めるしくみは、世の中を治める人や社会が替わっていく中で、1837年(明治6)「地租改正法」が公布されるまで約1200年続きました。
そして神野向遺跡の大溝から見つかっている炭化米は租税そのものでしょう。

 


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第29回 古代のはんこ ~銅印「福」~

2017/04/25
おめでたい字「福」の銅製の印を紹介するよ。

印は鹿島郡家(かしまぐうけ)という奈良~平安時代の鹿島郡の役所である神野向遺跡の食膳を担当する厨家(くりや)地域から見つかった。3.3cmの方形で高さは3.7cm、鈕の部分は少しゆがんでいる。
現代社会でも必要で大切な印章は古代律令社会でも同じ。古代の印は何種類もあって、内印(天皇御璽)が一番大きく格が上。大きさはその格で厳密に規定されていたんだ。常陸国印は見つかってないけど、奈良正倉院の文書から印影を知ることができるよ。「福」印の詳しい性格はわからないけど、当時の大切な印であることは確か。大きさからみると郡印(方約4.7cm)より小さいんだ。
実物はどきどきセンターにあるから、見に来てね。

 


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第28回 「私も読めた奈良・平安時代の墨書土器」

2017/04/25
 鹿島郡家(かしまぐうけ)って知ってますか?奈良~平安時代の鹿島郡の役所のことです。古代の役所は実質的に政治を行う政庁(せいちょう)と郡内から集められた租税稲を収納した倉庫群正倉(しょうそう)、役所の食膳を担当する厨家(くりや)とに分かれていました。
今日紹介する墨書土器はその厨家から見つかった土器「鹿厨」と「神宮」です。当時の食器である土器の底に墨ではっきりと書いてあります。1200年も前の文字が自分でも読めるなんて感動ですね。
役所のあとからは、このほかにもたくさんの墨書土器や瓦、銅印「福」も見つかっています。



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第27回 「キラキラした土器 ~雲母キラキラ阿玉台」

2017/04/25
今回は「キラキラした土器~阿玉台式土器」を1点紹介します。

厨台遺跡群(現在の51号バイパス厨台交差点東側付近)を発掘調査した時に径2.70mの円形の土坑から見つかった縄文時代中期(4500年ぐらい前)の深鉢です。
この土器は粘土に金雲母が混ぜられ作られているのが特徴で褐色の地に金色の星をちりばめたキラキラ輝く土器です。高さは46.7cmで、頸部から上は口に向かって広がる形です。口縁に4単位の把手が付いています。地紋や渦巻き状の隆体にも縄文が施され見応えのある土器です。阿玉台式土器と呼ばれ、縄文時代中期前半の文様や装飾が豊かな時代の土器です。鹿嶋市では同様の土器が厨台遺跡群を始めとする縄文時代中期の集落跡からたくさん見つかっています。
キラキラした雲母をじっくり観察してみてください。

 


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第26回 「神秘な石-津賀の大珠」

2017/04/25


みなさん神秘的な緑色の大珠を知っているかな。鹿嶋市でも4個しか見つかっていない貴重品だよ。
長さが9.6cm、幅が3.4cm、鰹節のような形をしているのが特徴で、美しい淡い緑色をしているヒスイ(翡翠)という石で作ってあるんだ。
縄文時代前期からヒスイの製品はあるんだけど、大珠は中期(今から5000年位前)に多く作られた胸飾り。ヒスイという石は縄文人が最も好んだ石材で、日本では新潟県糸魚川市周辺でしか産出しないけど、ヒスイでできた製品の分布は東日本全域で見つかっている。
縄文時代から奈良時代まで珍重されていたヒスイがその後忽然と生産されなくなってしまった。なぜヒスイの玉の生産をやめてしまったのかは謎。現代は糸魚川市周辺で宝飾として生産が甦っている。
大珠にも不思議があって、鉄の道具のない時代に穴をどうやってあけたのだろうか。石錐や竹ひごなどの棒錐と鳥の骨や竹管などの管錐が推測されているけど、この大珠はどんな道具を使って穿孔したのかは謎。
この大珠は津賀森林公園を建設する前の発掘調査で古墳時代後期(6世紀)の竪穴住居跡から見つかった。大珠は縄文時代中期のものなのにどうして古墳時代の住居から見つかったのかは謎。


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第25回 「弥生時代の縄文-西平遺跡の土器」

2017/04/25

 


みなさん、弥生時代の鹿嶋ではどんな土器が使われていたか知っているかな。今回は弥生時代の土器につけられた縄目の文様(縄文)を紹介するよ。
平成8年に行われた県道荒井麻生線の建設に伴う発掘調査では西平遺跡から弥生時代後期の集落跡が見つかった。竪穴住居跡から出てきた土器を調べると、茨城県北部の影響を受けた土器①・在地の土器②・南関東の影響を受けた土器などいくつかのタイプに分けることができる。
写真①は左のタイプで胴部下半には複雑な縄目の模様(縄文に別の縄文を巻き付けたもの)が転がっている。また写真②下部は縄文時代につけられた縄文に似ているが縄目がとても細かくて美しい。
弥生時代になると壺や甕(かめ)や食物を盛る高坏(たかつき)など薄手の土器が西日本から広まってくる。茨城辺りに住む弥生人も薄手の土器を作りはじめるけど、その表面には凝った縄目の模様をつけていたんだね。
縄目の文様は縄文時代から弥生時代まで約一万年以上もの長い間、様々な模様が地域ごとに変化してつけられていたんだ。この土器の他にも素敵な縄文の付けられた弥生土器がどきどきセンターに展示しているから、ぜひ見に来てね。

茨城県北部の影響を受けた土器①

在地の土器②


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第24回 鹿嶋の鍛冶屋 -春内遺跡の羽口-

2017/04/25
みなさん、鹿嶋では古墳時代から鉄作りが盛んであったことは知っているかな。今回は鉄作りに不可欠なふいごの羽口を紹介するよ。
ふいごとは炉の温度を上げて鉄を溶かすための送風装置のこと。羽口はふいごの先端、送風口に付けたもので、粘土を焼いて作った筒状の土製品で真ん中に孔が通っていているんだ。
写真のように使用された羽口は熱を受けて赤色や白色・青灰色に変色し、先端が溶けて鉄滓(てっさい)が付いている。
春内遺跡の発掘調査では鍛冶工房跡が19軒、その中には東西29.4m、南北5.5mの長大な工房跡が見つかった。この工房には全部で22基の炉が2列に並んでいた。炉には羽口が使われたままの状態で出土している例もあって、当時の羽口の装着使用状況を知ることができたんだ。
奈良時代のちょっと前のころ、佐田地区・片岡地区など奈良~平安時代の鹿島郡の役所の跡である神野向遺跡(かのむかいいせき)の周辺にやや規模の大きな鍛冶工房が作られたんだ。
鉄器文化は中国や朝鮮半島から渡ってきて、日本人は長い年月をかけて「たたら製鉄」と呼ばれる砂鉄と木炭を使った日本独自の古代製鉄法を生み出した。鉄の文化は鉄作りの技術が進歩し、生産量が増えるにつれて一般の人々にも鉄製品が普及し日本の文化を発展させたんだ。どきどきセンターでは羽口と一緒に古代の鉄製品も展示しているから、ぜひ見に来てね。

 


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第23回 縄文人のブレスレット -神野遺跡出土の貝輪-

2017/04/25


みなさん「どきどきセンター」の企画展は見学に行ったかな?今日はその中から縄文人のブレスレットを紹介するよ。
写真はベンケイガイの貝殻で作った貝の腕輪で貝輪(かいわ)というんだ。縄文時代後期(今から約3000年前)の神野遺跡の貝塚から見つかった製作途中?のものだよ。
貝輪は縄文時代早期から弥生時代にかけて作られたブレスレット(腕輪)で、アカガイ・サルボウガイ・ベンケイガイ・タマキガイ・イタボガキなどの殻の厚い二枚貝やアカニシ・オオツタノハガイ・イモガイなどの巻き貝を使って作られたんだ。製作方法はそれぞれ異なっていて、二枚貝の場合は殻の真ん中に穴をあけて研磨して輪状に、巻き貝は殻を縦に輪切りにしたり横に輪切りにするんだ。使われる貝は地域や時代によって違うんだ。
縄文時代の貝輪は埋葬された人骨の腕に装着された状態で見つかることが多くて、その大半は女性なんだ。千葉県には製作途中や製作中に壊れた貝輪が二千点以上も見つかった貝輪を製作する遺跡や、土器の中に貝輪が33点も収められた状態で発見された遺跡があり、貝輪を交易品としていたのかもしれないね。
「こんな小さな貝輪は腕に入らないよ。」って大人の見学者が言っていたけど、大人になる前の掌がまだ小さい子供の時に貝輪を入れて、そのまま着けておくんだ。
みんなも貝輪を作ってみないカイ?。貝輪の作り方はどきどきセンターに説明してあるから見に来てね。
企画展示「君は知っているカイ(貝)?」は8月30日までだよ。


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第22回 祈り -片岡遺跡の土偶-

2017/04/25
みなさん今日は「鹿嶋市どきどきセンター」の逸品、片岡遺跡の土偶を紹介するよ。

この土偶は胸がふくらんでいるからたぶん鼻の高い美人?女性。よく見ると顔や体に細かい文様があるんだ。後頭部・額・のどから胸には粘土

ひもを貼り付けてキザミを入れ渦巻きを描き、まゆ・目・口も粘土ひもを貼り付けてキザミを入れて表現している。顔・背には縄文が付けられている。この時期の土器にも同様な文様が見られるんだ。
縄文時代後期の集落跡である片岡遺跡(かたおかいせき)から見つかった時は頭・肩・胴部がバラバラ。頭と体が10m以上も離れたところから見つかったんだ。前に紹介したイノシシの土偶とは調査区が別で約150m離れていて、作られた時期もこちらがちょっと前。
今から3500年前、片岡に住んでいた人々も土偶を用いて安産などを祈っていた。土偶は妊婦や女性を形取った物がほとんどで、割れた状態で見つかる例が多いため、祈りの時かその後に身代わりにするために割って捨てられたとも考えられているんだ。この土偶も祈りの後割られたなら、調査が終わり整理作業の時約3500年ぶりに頭と体がくっついたことになるんだ。
どきどきセンターにはこの土偶以外にも市内から見つかったたくさんの土偶が展示してあるから、ぜひ見に来てね。

 


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