第41回 縄文土器のうつりかわり⑤-「こんにちは縄文土器」

2017/04/25


縄文時代後期(およそ3000年前)になると土器の文様は繊細になり、装飾的なものから機能的なものへと変化していきます。注ぎ口のある急須のような形をした注口土器が一般化し、液体を貯蔵する壺も定着しました。また、美しく飾られた土器(精製土器)と文様の少ない土器(粗製土器)のはっきりとした区別もでき、作りわけられました。精製土器の形はバラエティに富んで、釣手形土器、香炉形土器など器種は豊かとなります。
鹿嶋市の後期の遺跡としては、神野遺跡・片岡遺跡・神野向遺跡があげられます。これらの遺跡からは堀之内式・加曽利B式・安行式などの土器が見つかっています。
堀之内式土器は、縄文を付けた後に渦巻や三角形や菱形の幾何学的な文様を線で付ける複雑な文様構成です。この堀之内式土器は分布圏が広く関東一円のみならず東北南部から近畿地方まで広がっています。
次に続く加曽利B式は、精製土器・半粗製土器・粗製土器と大きく3種類に分けられ用途を異にしていたと考えられます。
後期の最終段階の安行式は、粗製土器と精製土器がはっきりと分かれていて、精製土器には瘤が付きます。安行式土器は前半が後期、後半が晩期に分けられ、東北地方の影響を多く受けています。

※コラム : 堀之内式などの土器型式は年代や広がりを表す「ものさし」のようなもので、標準となった資料の見つかった遺跡名(標式遺跡)から名前を付けています。

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