市内史跡めぐり

第6回 今年こそウマ(馬)くマウ(舞)こと祈る午の年 “線刻土器”

2017/04/25
 
厨台遺跡の発掘調査で、3m四方の小さな平安時代の竪穴住居のカマド跡から発見されました。推定口径約20cmの土師器(素焼きの土器)の鉢の側面に細いヘラのようなもので描かれています。
絵には馬の首と前足付近が描かれ、右足をあげて、木の枝か何かに近づこうとしている姿が描枯れています。ゆがみ結髪のたてがみ、胸懸(むながい)の様子から乗馬用として飾られた馬と思われ、小さな破片のために全体の様子は不明ですが、絵巻物に描かれる動物画と同様躍動感にあふれています。
これまで土器や絵馬に墨で書かれた馬の絵は例がありますが、線刻の絵はとても珍しく、馬を描いた意図が何なのか興味のあるところです。

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第5回 優雅にそして華やかに “パレススタイルの壺”

2017/04/25

 さて今日紹介するのは鹿嶋市内出土の、数ある土器の中でもたった一つ
これだけしかないという、文字どおりの一品。パレススタイルの壺と呼ばれる土器です。パレスは宮殿とか殿堂とかいう意味で、その名の通り古代ギリシャの宮殿を彷彿とさせるような美しい優雅な壺です。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての遺跡から出土しています。写真の壺は古墳時代はじめ(約1700年前)の木滝台遺跡で出土した物で、祭祀(お祭りの儀式)をしたと思われる大溝の跡から多量の土器とともに発見されました。底部は欠損していますが、高さ7cm、口径20.6cmで、頸の部分は襟のように突帯が巡り、胴部には貝殻を押して付けた波状文が二段、横沈線が三段引かれています。外面全体には紅の色鮮やかな丹が塗られています。何千とある土器の中でも特別に数が少ないこうしたパレスの壺には、いったいどんな大切な物を入れた運んできたんでしょうね。宴会で飲むおいしいお米の水(酒?)いやいやそれはノンベイの発想、きっと来年の米作りのために必要な、大事な稲の種籾などを運んできたのではないでしょうか。


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第4回 ~伝統的なお葬式?~ 弥生の壺棺

2017/04/25


サテ今日紹介するのは弥生時代の壺棺。おなかが大きいダルマさんのような格好をしているけれど、木滝の国神遺跡で発見された、今から約1800年前に焼かれた土器の棺なんです。高さが47センチ。ごらんのように口が小さいので亡くなった人をそのままおさめたわけではなく、一度土に埋めて骨になった頃掘り出してきれいに洗って(洗骨?)から入れたらしい。
九州の吉野ヶ里遺跡なんかでは、大きな甕棺に亡くなった人をそのまま埋葬しているけど、東の方は縄文時代の伝統がまだ残っていたらしく、土器にわざと穴をあけたり(穿孔)、人の顔やふつうの土器にはないきれいな模様がつけられたりしています。
国神遺跡からは茨城県内でもめずらしい炭化米(焼けたお米)が検出されています。


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第3回 千年の眠りいまだ覚めず “銅鈴”

2017/04/25


 今回紹介するのはこれ。ちょっと見ると黒っぽくて鉄みたいだけど、実はこれ青銅で出来た鈴なんだ。

今から12年前、厨台遺跡の片野地区南で竪穴住居から出てきたもので千年以上も土の中にあったというのに、ほとんどさびていなくて、中に入っている音子も動く状態でした。形は球状で中は中空、大きさは直径3.3cm、上の方に紐を通す穴のあいた四角形の短い突起がついています。表面には球を縛るように細い突帯が十字に巡っていて、下の中央部には細い裂け目があります。手でつまんで振り鳴らすと、千年前の清らかな鈴の音が、今でも良く聞こえます。

鈴は神に仕える巫女さんが、眠りについている神様を起こすときに使用した物らしく、後には神事や舞の楽器として神社などで使わています。千年の眠りから覚めたこの鈴、現在は誰を呼び覚ますのやら・・・


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第2回 ニッポンに象がいた頃 “ナウマン象の牙”

2017/04/25




 

今回紹介するのはスゴイヨ。
弓なりに曲がって白い槍のように尖っているけど、実はこれ化石、象の牙の化石なんだ。1981年8月16日、場所は津賀の土砂採取場(ガケ)で理科研究部会の先生方7人と屋外観察クラブの中学生4人が地層の観察をしている最中に、たまたま発見したんだって。牙の長さは約90cm、直径は太いところで7センチもあります。発見されたのが30~10万年も前のカキなどの貝の化石層なので、そのころ陸続きだった日本に渡ってきたナウマン象の切歯です。ナウマン象の切歯は県内でもまだ数例のみ、大昔の茨城、鹿嶋を知る上でとても貴重な資料になります。

*ナウマン象・・・ ドイツの地質学者にちなんだ名。ナウマンは東日本と西南日本に分ける大断層をフォッサマグナと命名した。
*ガケの調査は危ないから絶対1人ではしないでね。

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第1回 永遠の眠りの石枕

2017/04/25


石でできた冷たい枕。これ、古代人の水枕?いやいや、実は死者のための枕で、豪族(権力者)が永遠の眠りにつくため、古墳に埋められた副葬品なんだ。
昭和62年、当時の鹿島町が文化財に指定。佐田の 国神くにがみ 神社に奉納されていたらしいんだけど、盗難に遭ってはいけないと、現在は鹿嶋市教育委員会が管理しているんだ。同神社の ほこらのある場所は周囲より小高く盛り上がっていて、古墳(円墳)があったみたい。

滑石という加工しやすい石ででき、よく見るとのみで削った後が残っている。大きさは縦26センチ、横27,5センチ厚さ10センチ、重さは約12キロ。頭がおさまるように真ん中がくぼんでいる。 石の少ない千葉や茨城の古墳から多く出土しているのは、豪族たちが“最後のぜいたく”として使ったせいかもしれないネ。鹿嶋市内での確認はこれまでたった2例でもう一つは鹿島神宮が所蔵しているんだ。

(写真:ノミで削られた跡が残る石枕。くぼんだ部分に頭部が納まる)


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