第24回 鹿嶋の鍛冶屋 -春内遺跡の羽口-

2017/04/25
みなさん、鹿嶋では古墳時代から鉄作りが盛んであったことは知っているかな。今回は鉄作りに不可欠なふいごの羽口を紹介するよ。
ふいごとは炉の温度を上げて鉄を溶かすための送風装置のこと。羽口はふいごの先端、送風口に付けたもので、粘土を焼いて作った筒状の土製品で真ん中に孔が通っていているんだ。
写真のように使用された羽口は熱を受けて赤色や白色・青灰色に変色し、先端が溶けて鉄滓(てっさい)が付いている。
春内遺跡の発掘調査では鍛冶工房跡が19軒、その中には東西29.4m、南北5.5mの長大な工房跡が見つかった。この工房には全部で22基の炉が2列に並んでいた。炉には羽口が使われたままの状態で出土している例もあって、当時の羽口の装着使用状況を知ることができたんだ。
奈良時代のちょっと前のころ、佐田地区・片岡地区など奈良~平安時代の鹿島郡の役所の跡である神野向遺跡(かのむかいいせき)の周辺にやや規模の大きな鍛冶工房が作られたんだ。
鉄器文化は中国や朝鮮半島から渡ってきて、日本人は長い年月をかけて「たたら製鉄」と呼ばれる砂鉄と木炭を使った日本独自の古代製鉄法を生み出した。鉄の文化は鉄作りの技術が進歩し、生産量が増えるにつれて一般の人々にも鉄製品が普及し日本の文化を発展させたんだ。どきどきセンターでは羽口と一緒に古代の鉄製品も展示しているから、ぜひ見に来てね。

 

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