第25回 「弥生時代の縄文-西平遺跡の土器」

2017/04/25

 


みなさん、弥生時代の鹿嶋ではどんな土器が使われていたか知っているかな。今回は弥生時代の土器につけられた縄目の文様(縄文)を紹介するよ。
平成8年に行われた県道荒井麻生線の建設に伴う発掘調査では西平遺跡から弥生時代後期の集落跡が見つかった。竪穴住居跡から出てきた土器を調べると、茨城県北部の影響を受けた土器①・在地の土器②・南関東の影響を受けた土器などいくつかのタイプに分けることができる。
写真①は左のタイプで胴部下半には複雑な縄目の模様(縄文に別の縄文を巻き付けたもの)が転がっている。また写真②下部は縄文時代につけられた縄文に似ているが縄目がとても細かくて美しい。
弥生時代になると壺や甕(かめ)や食物を盛る高坏(たかつき)など薄手の土器が西日本から広まってくる。茨城辺りに住む弥生人も薄手の土器を作りはじめるけど、その表面には凝った縄目の模様をつけていたんだね。
縄目の文様は縄文時代から弥生時代まで約一万年以上もの長い間、様々な模様が地域ごとに変化してつけられていたんだ。この土器の他にも素敵な縄文の付けられた弥生土器がどきどきセンターに展示しているから、ぜひ見に来てね。

茨城県北部の影響を受けた土器①

在地の土器②

カテゴリ:埋文ニュース-市内史跡めぐり