第35回 風土記の郷⑤-高家郷の白布

2017/04/25


奈良時代の鹿嶋市域は六つの郷(松浦まつうら・鹿嶋かしま・高家たけい・潴尾ぬまお・中村なかむら・下鳥しもとり)に分かれていました。今回はその中の「高家郷」の名の記載された奈良東大寺正倉院に残る白布を紹介します。白布(写真)は曝布(さらしぬの)で麻布であり、調布(税)として郡家・国府を経て奈良の都に送られたものです。白布には墨で天平勝宝四年(752年)の十月に常陸国鹿嶋郡高家郷(今の武井周辺)の戸主が占部手志、占部鳥磨が作り納められた曝布壱端であることや、担当の国・郡の役人の名前が書かれ、常陸国司の印が押されていました。常陸国印の印影はこの資料が唯一のものであり、大変貴重な資料です。
当時の税制は主に租・庸・調・雑徭と呼ばれ、租は口分田に課せられた税で、調は常陸国では布や海産物を納め、年に10日の労働である庸についても常陸国では布を代わりに納めていました。雑徭は地方役人のもとで年間60日働くことで、このほかにも公出挙や兵役・仕丁など様々な負担が農民に課せられました。     『大野村史』より
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