鹿嶋の遺跡めぐり 連載4回
2017/04/25
神野遺跡は昭和2年に考古学者吉田文俊等によって発掘調査が行われています。昭和12年に神野貝塚と神野東遺跡が統合されて神野遺跡とされました。場所は鹿島神宮駅側から向かって御園生橋の手前、標高約36mの平坦な台地上で、北浦から入り組んだ谷津の奥まった所に位置しています。近くには神野貝塚や殿坪遺跡、国主前遺跡などの遺跡が密集しており、縄文時代には自然環境が豊かであったことがわかります。神野遺跡は縄文時代後期から晩期の遺跡ですが、鹿嶋市内では縄文時代晩期の遺跡はこの地域でもごくわずかしか確認されておらず、とても貴重な遺跡です。
平成14年の個人住宅建設に伴う調査では、小規模な貝塚とともに竪穴住居跡2軒、食料を貯蔵する土坑などが12基検出されています。住居跡は円形で、深さが38cmの竪穴です。住居内からは深鉢や浅鉢などの縄文土器とともに土偶の頭部や土器片錘、石斧や砥石等が出土しています。
隣接する殿坪貝塚からは多量の貝に混じって飲み物を注ぐ注口(ちゅうこう)土器や深鉢や浅鉢などの縄文土器、石斧や石錐、石錘などの石器、動物の骨や牙で作った垂飾(すいしょく=ペンダント)や釣針や銛などの骨角器、みみずく形の土偶、ベンケイ貝の貝輪(かいわ=うでわ)などの装身具が見つかっています。なかでも注口土器の出土はお酒のようなものを醸造していた可能性が考えられます。今から約4000~2500年前の縄文時代後期~晩期(ばんき)にはお祈りやまじないに使ったと思われるような不思議な形をした土器がたくさん出土しており、オシャレをしたりお酒を飲んで歌ったりしている縄文人の生活風景を想像する事が出来ます。
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