鹿嶋の遺跡めぐり 連載3回
2017/04/25
片岡遺跡は神野~押合線の道路建設に伴う発掘調査で見つかった遺跡です。遺跡は御園生橋を渡って宮中片岡に広がる平均標高約37mの平坦な台地上にあり、南側には古代郡役所跡で国史跡である神野(かの)向(むかい)遺跡があります。遺跡の西側は急峻な斜面になっていて、通称「猫(ねこ)返(がえ)り谷津」と呼ばれ、猫も思わず引き返すほどの急な地形です。深い谷の麓には鹿島七つ井戸の「清水井」「保太井」があり、清水井には今も水がわき出ています。
このように自然環境の豊かな地形でしたから、今から約4000年~3000年以上前の縄文時代後期から弥生時代、古墳時代~中世・近世まで長い間多くの人々が生活していました。
縄文時代の遺構は特に多く、調査面積約6700㎡内に住居跡が76軒(後期70軒)、土坑(貯蔵用)が32基も見つかっています。
縄文時代の住居は直径3~4mの円形に掘りこんだ竪穴式住居で、壁の周囲には柱の穴があり、中央には炉(ろ)「いろり」の跡がありました。炉の地面は赤く焼けていて、火を焚(た)いた跡だとわかります。住居内からは多くの縄文土器や石斧、石錘(せきすい)「網のおもり」、石皿(いしざら)「木の実をすり潰す道具」などの石器、そしておなかの大きい女性や猪の土偶(どぐう)「土の人形」や土製のペンダントなどが見つかっており、縄文時代の生活が自然に依存していながらも、比較的豊かであったことを想像させます。
カテゴリ:鹿嶋の遺跡めぐり