鹿嶋の遺跡めぐり 連載5回

2017/04/25


 西平遺跡は鹿嶋市の北方、北浦に面した標高38~39mの台地の上に営まれた遺跡で、大同西小学校の裏手にある津賀城址公園に隣接する場所にあります。平成8年、一般県道荒井麻生線道路改良工事に伴い発掘調査されました。
遺跡は旧石器時代~中世にわたる長い間集落が営まれており、道路予定の幅22m、長さ約270mの範囲からは数多くの遺構が検出されました。特に約1800年前の弥生時代後期の竪穴住居跡は8軒で、これまでの鹿嶋市内で見つかった弥生時代の遺跡の中では最も多いものです。住居跡の他には土坑とよばれる穴が1基確認されています。住居跡は一辺が3.5~6m、角が丸まった方形で、床の中央部やや北寄りに炉跡があります。地面に穴を掘る竪穴という方法では縄文時代の住居とあまり変わりがありません。しかし、この時代には鹿嶋市内でも米が出土しており、台地の下方に広がる沖積地ではすでに米作りが行われていたものと思われます。
また、出土した土器には在地の土器の他に茨城県の北部に展開する十王台式土器や、東京神奈川などの南関東地方の弥生土器も検出されており、この時代には広範囲にわたって何らかの地域交流があったものと考えられています。
茨城県の弥生式土器には縄文の模様が付されており、住居も縄文時代とあまり変わりません。大陸から伝播した米作りや機織りなどの新しい技術を受容しながらも、縄文時代の文化や伝統を継承していたものと思われます。

カテゴリ:鹿嶋の遺跡めぐり