奈良・平安時代は、「国」の下に「郡」が置かれその下に「郷」「里」が置かれていました。鹿島郡には十八の郷があったとされますが、この頃の厨台遺跡群周辺は、鹿島郡鹿島郷の範囲にあたります。この時の発掘調査では帯金具の他にも「鹿島郷長」という墨書土器も出土していることから、この辺りは鹿島郷の役人が居る鹿島郷の中心的な集落だったと考えられています。
カテゴリ:鹿嶋市文化財デジタルアーカイブ