ついこの間までお米で税金を納めていたことをみなさんはご存知ですか。
奈良・平安時代の郡の役所跡である神野向遺跡の大溝からたくさんの炭化材や炭化米が見つかっています。大溝は税として納められた米を入れておく倉庫域の周囲を取り囲むものでした。この大溝から炭化米が見つかったことにより、倉庫が火災を受けたことが想像されます。
645年「大化の改新」によって全ての土地と人民は戸籍の整備等により国家管理体制となり、646年「班田収授法」により人々に「口分田」(くぶんでん)と呼ばれる農地を与える代わりに、収穫した稲の約3%を「租」として国家に納めることとしました。つまり、律令国家の財源は人々を戸籍に登録し、税を負担させることによって成り立っていました。
「班田収授法」に始まった米を税として納めるしくみは、世の中を治める人や社会が替わっていく中で、1837年(明治6)「地租改正法」が公布されるまで約1200年続きました。
そして神野向遺跡の大溝から見つかっている炭化米は租税そのものでしょう。
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