鹿嶋の遺跡めぐり 連載7回

2017/04/25


 平成3年度の国道51号バイパスの建設に伴う発掘調査では、北浦湖岸の微高地上に位置する湖岸水田遺跡の宮中地区から4つの時代の水田面が見つかりました。
現在の水田の下から近世の水田が、またその下からは近世から中世の水田面が、そしてその下からは古墳時代後期の水田2層を確認することができました。
水稲の栽培には、水を大量に必要とする時期と、そうではない収穫の時期があり、水量を調節するためには給排水施設が必要となります。傾斜がある水田跡では平坦を保つために一枚の水田は小さく区画されており、地形を利用し自然に水が行き渡るよう工夫したものが多く見つかっています。
湖岸水田遺跡の宮中地区で確認された古墳時代の水田は四角形であり、一枚の面積は2㎡から2.7㎡前後の広さのものが大半を占めています。現在見られる水田と比較すると面積は極端に小規模ですが、整然と区画されていました。また各水田は、ほぼ平坦につくられ、隣接する田との高低差も約1㎝から2㎝でした。さらに水田と水路からは古墳時代の土器片とともに臼玉などの石製模造品や手捏(てづく)ね土器が見つかりました。
当時の稲作は、天候や気候条件に大きく左右されていたので、畦道(あぜ道など)が交差する場所では豊作を祈る祭りが行われていたと考えられます。
現在でも様々な五穀豊穣を祈る祭りが各地で行われています。

BR5勾玉出土状況

BR5W古墳水田

 

 

 

 

 

 


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