鹿島城跡(かしまじょうあと)

2017/04/25
常陸大掾系鹿島氏(ひたちだいじょうけいかしまし)の居城であり、別名吉岡城とも呼ばれています。天正19年(1591)に17代鹿島清秀の時代に常陸国守護の佐竹義宣の謀略によって落城したと言われています。現在の地に城が構えられた時期については明らかではありません。昭和52年の本丸調査では本丸内に幅16m、深さ10mの薬研堀(やげんぼり)を挟んで東側に地下式坑を含む方形土坑群と掘立柱建物跡が重複して見つかりました。
出土した遺物は地鎮具と思われる輪宝土板(りんぽうどばん)、墨書土器(ぼくしょどき)、土師質小皿(はじしつこざら)・内耳土鍋(ないじどなべ)・陶磁器などです。
△調査風景 △土器の出土状況(地鎮などの祭りをした跡か)

カテゴリ:市内史跡めぐり